2008年9月24日水曜日

「君たちはどう生きるか」; 吉野源三郎

">「君たちはどう生きるか」; 吉野源三郎

しばらくこのブログの更新ができていなかったが、この間読んだ本がなかったのかというとさに非ず、次から次へととっかえひっかえ乱読していたため、しっかり振り返る暇がなかったというのが正直なところである。

ところで、一夏を越えて9月に入ってから読んだ本で特に心に残ったのが、この一冊である。
この本を手に取るようになった契機というのが、昨年岩波書店が各界の有識者に岩波文庫の中から「私の選ぶ3冊」という企画をした際に上げられていたのを見つけたものです。その上位11冊の本のうちには、全く知らない本がいくつかあったので、早速に取り寄せて読破した中の一冊です。

この本を読んで、真っ先に思ったのは「是非、子供に読ませたい。」ということである。

この本そのものは、1930年代に当時の少年少女(少国民)向けに刊行されたシリーズの中の一冊で、現在の社会とは背景になる情勢が違うので、そのまま素直に読めない部分もありますが、今となっては少年少女と言うよりも少なくとも大学生以上でないと、深く理解することは難しいのではないかと思われる。

当初このシリーズは、いわゆる世界の偉人伝であるとか科学的な知識欲を刺激するような10数冊のシリーズであるが、この1冊に関してはそれらの根底に流れる倫理観であるとか道徳観について、哲学者であり、雑誌「世界」の初代編集長である吉野氏が執筆したものである。

あの時代に良くこのような書物が出版できたものと感心させられる内容で、奥付によると吉野源三郎は、当時からリベラル派で知られ、様々な迫害を受けたようである。

この本の中では、主人公である中学一年生のコペル君に示唆を与える叔父さんの口を借り、吉野氏の思想の一端が述べられている。執筆当時、氏は36,7才であったはずであるから、まさに自身を置き換えての提言、助言であったのだろう。

最後に、この本を読んで2番目に思ったこと。
「今の子供達には、ちょっと難しいかな。でもいつか読んで欲しい。」

そんな本であった。

2008年6月16日月曜日

プレミアム戦略 ; 遠藤 功

少し前に読んだ本ということで大変恐縮ですが、結構おもしろかったのでここで紹介します。

現代社会を評して「格差社会」、「高額品と低価格品の消費の二極化」、などということが語られるようになって久しい。
実際、100円ショップが盛況を見せる一方で高機能(高額)な家電製品が大ヒットしたり、第3のビールがビールの消費量を引っ張るかと思えば「プレミアム」と名付けた上質のビールも良く売れている。

この本では、その現象を分析した上で、日本企業としてどのような戦略をとるべきかを提案している。

従来の少品種大量生産型の製造産業は、コスト的には(あるいは技術力も)中国、東南アジア等の新興国には全く太刀打ちできない。著者は別のところでも、日本の10倍以上にも及ぶ巨大市場を背後に控えた中国に対して、コモデティ市場で勝負を挑むことの無謀さを指摘しており、疑いのないところであろう。
今後、日本の製造産業が生き残る道は、他の国にはまねができない日本独自の感性を活かした物(感性価値の高い物)を作る方向に舵を切らなければ行けない、というか行かざるを得ないのである。
その際に、このプレミアム戦略というのが大きな意味を持ってくる。
とはいえ、ここのところプレミアムブームに悪のりしている企業もかなり目につくようになったように思われるのが残念である。

著書の中では、プレミアムにおける原則として次の8つを挙げている。
①「作り手の主観」こそがプレミアムの命、②常に「モダン」であり続けること、③派手な広告・宣伝はしない、④飢餓感・枯渇感を醸成する、⑤安易な拡張は行わない、⑥販路を絞り込む、⑦細部にこだわる、⑧グローバルをめざす

プレミアム路線を目指す企業は数多くあるが、これらの原則のうち自分に都合の良いいくつかのポイントにだけ焦点を絞って、戦略を立てているケースが多いように見受けられる。
基本的にこの8つの原則にバランス良く力点を置かないと、失敗は眼に見えている。自らの状況を再度しっかりと見極めることが重要であろう。

これらの原則を踏まえた上で、日本企業が実施すべき施策として挙げられているのが次の5つである。
①「本物の職人」を育てる、②「ストリー・テラー」を育てる、③上場にこだわらない、④仕事に「ゆとり」を、⑤「できる」と信じる

この中で、私が非常に重要であると思うのが、2つめの「ストリーテラー」の育成である。
プレミアム戦略というのは、結局のところブランド戦略の一類型であり、ブランド戦略にとって欠かせない、そのブランドを支える物語を如何に紡ぐことができるかと言うことが死命を制する。如何に使い手の質を高め、ブランドのファンを創造していくかと言うことが重要で、そのファンが「ストーリーテラー」となって、さらにそのブランドの周知度を高める原動力となりうる。
誰もが、そのファンづくりで苦労しているのであるが、その点について著書は一つのキーワードを与えてくれている。それが「欲望の質」という言葉である。

従来、日本製品の高品質化を支えていたのは何か、それは消費者たる日本国民の「欲望の質」の高さである。今、消費者の「欲望の質」はある意味飽和状態に達している。消費者自身の想像を上回る速さで技術革新が進み、「速さ=質の高さ」という錯覚を消費者に植え付けている。
今ここで、生産者が考えるべきは、速さではない質の高さである。つまり、生産者の「欲望の質の高さ」が、次の時代のキャスティングボートを握ることは間違いない

2008年6月8日日曜日

知的生活の方法 ; 渡部昇一

今からおよそ30年前に出版された講談社現代新書の一冊である。2008年2月で第73刷となっており、いかに長く読み続けられているかが良くわかる。最近は、こういったいわば古典的となった著書を好んで読むようにしている。

この本の中で、著者が知的活動の典型としているのが、本を読むこととそのアウトプットとしての執筆活動とされているので、もっぱら著者の読書論として読ませていただいた。
書かれていることはいちいち腑に落ちることばかりで、非常におもしろく一気に読んでしまったのであるが、特に印象に残ったことをいくつか。

まずは、本を繰り返して読むことである。
彼は、気に入った本があるととにかく何度も繰り返して読む癖があったそうである。これは少年時代の読書方法が習慣になっていたようで、特に捕物帖が大のお気に入りであったそうである。
この読書法は、夏目漱石も同じであったそうで、何度も繰り返して読む内に、おもしろさを感じるところも徐々に変わってきて、明らかにその本への理解度がさらに深まる、或いは新たな気づきが生まれるという。
現在、古典として現在まで残っている書物というものは、この繰り返しを何人もの人が行ってきているわけで、こういった数多くの人の評価を得たものが逆に古典として残ってきているわけである。
それぞれの人にとっても古典を作ろう、と言うことを勧めている。
翻って、私の古典と言えば、今にして思えばアルセーヌルパンなのである。
南洋一郎氏の翻訳による少年向けの全集を、何度も何度も読み返し、成人してからも堀口大学翻訳の新潮文庫版を何度も読み返しました。

第二点は、本は必ず買って読むこと、である。
簡単に言うと、本にかける金は惜しむな、と言うところである。
というのは、本は何度も読むものである上に、気になるところ、気に入ったところについては、どんどん書き込みをすることを提唱している。ここで朱書き線引きをしていると、読み返したときに、前回読んだときとの気づきの違いを体感できるし、何と言っても読み返すときに短時間で読むことができるとしている。
借りた本や図書館の本ではこうはいかないので、本は買って読めと言うことらしい。
実は、私も本は買って読む派で、例外的に図書館で小説などを借りることはあるが、基本的には購入し、気に入ったところは線引き、朱書き何でもありである。
今にして思えば、子供の頃から本の貸し借りをすることが嫌いで、本を貸すときなどは、自分の心の中まで見られているようで、恥ずかしい思いをしたものである。ましてや本を人から借りて読むなんて、実は人生の中でほとんど記憶にないのである。

最後の一つは、知的生活を送る上での障害物として挙げられているもの。
結婚すること、家族を持つことだそうである。
ただし、これには知的生活とは別の次元の興味深い生活が待っていると思うのであるがどうだろうか。

この本も、立派な古典として読み継がれているようである。
自分が読書好きなもので、いろいろな人の読書論には結構興味を持っていて、自分のことを話すのは気が引けるのであるが、人の読書歴を聞くのはその人の心の中が少し垣間見えるような気がして興味深い。

2008年5月11日日曜日

「般若心経」を読む ; 紀野一義

色即是空 空即是色
誰もが知っている、あまりにも有名な般若心経の一節である。

最近、何冊か般若心経に関する解説本を手にしている。
その中で、読みやすさで群を抜いていたのがこれである。

最も短い仏教典といわれる般若心経は、唐の時代、かの玄奘三蔵が艱難辛苦の末、天竺へ往復し持ち帰ったものと言われている。その行程もこの本には詳しく書かれているが、いやはや凄まじく、玄奘は何度も死を覚悟したに違いない。
そして、そのお陰で、今私たちはこのありがちお経を読むことができる。

般若心経の読み方は、いろいろとあるようであるが、私は、この書の中でもわずかに触れられているように、リズム感良く一心に唱ずることによって生まれる一種の陶酔感の末にたどり着く境地が全てであると思う。

般若心経では、全てのものには実体がない。老いや死さえも恐れることはない。
般若という大いなる知恵を授かるために、一心に呪文を唱えようと結ぶ。

私自身、全く諳んじられることができないが、何とか覚えて、日々念じてみたいと思うところである。

2008年4月29日火曜日

感動の経営 ; 原 邦生

2月14日は、いわずと知れたバレンタインディ。日本中でチョコレートが最も売れる日だとか。
季節はずれの話題で恐縮だが、この本の著者こそが、日本でというか世界でバレンタインチョコを最初に販売したメリーチョコレートの社長である。
この西欧の習慣を上手く自社の販売に繋げた感性は素晴らしいものがあるが、それだけではない。
この本は、著者が毎週1回、社内報に書き続けたコラムを集めたもので、様々なテーマに及んでいる。
当然のことながら、社員向けに書かれたものであるから、経営者から従業員へのメッセージを伝えるために書かれており、これを通して従業員は、経営者の理念を共有していくことができる。また、重要なことは、そのメッセージが身近な出来事、或いは組織改革など転機となる出来事に対して、非常に平易な文章で書かれていることである。
恐らく、社内報で大上段に振りかぶった経営者の提言なんぞ誰も読みたくないのであって、思わず読みたくなるような、文章は心憎いばかりである。文章からは、経営に対する真摯な姿勢、顧客・従業員への愛情がひしひしと伝わってくる。

と、ここまでならごく一般にある経営者のエッセイ集になるのだが、この本にはさらにもうひと工夫がされている。実は、著者が書いた1000文字程度の提言の後に、その内容について、言葉を換え分かりやすく、或いはもっと普遍的一般的な内容に、逆に具体的な内容に書かれた(秘書記)と書かれた文章が挿入されていることである。
これが、素晴らしい。
巻末の解説によると、2名の女性秘書が分担して書いているようであるが、この文章が、全体の内容にさらなる厚みを増す効果をもたらしている。著者の思いが、いかに従業員の中で具現化されているかを表すまさに生きた証拠ともなっている。
社長と秘書のハーモニーでできあがった名著である。

2008年4月14日月曜日

人は仕事で磨かれる ; 丹羽宇一郎

これまた、少し前の出版であるが、最近図書館で借りだして読んだものである。
毎日少しずつ読むつもりが、大変おもしろく、結構一気に読んでしまった。

著者は、伊藤忠商事を再生させた元代表取締役社長で、現在は経済財政諮問会議のメンバーでもある。
最近の読書傾向の一つとして、世の中の名経営者と言われる人たちの本を良く読んでいる。
日経新聞の私の履歴書が単行本化されている物が中心ですが、この本はそれとは違い、書き下ろしで書かれた物である。

ひとことで言うと、おもしろい。それに何よりも「自分はこれをやった!!」 という自慢話めいた物が出てこないところが心にすっと入ってくる所以であろう。
どうも、功成り名を遂げた方の自伝を読むと、苦労話は良いにしても、その後の自慢話と、それから始まる処世訓と言うパターンが多く、読んでいてもだんだん鼻についてくるということが非常に多い。
ところが、この本はそう言ったことがほとんど見られず、丹羽氏なりの思いや考え方が綴られており、好感が持てる。
経営者として就任してすぐに、「クリーン、オネスト、ビューティフル」という非常にわかりやすい言葉を標語として上げられた。
その上で、経営者にとって最も大事な素養は「コミュニケーション力」という。

如何に素晴らしい理念を持っていても、それが伝わらなければ、どうにもならないということだ。
それは、経営者が自らの言葉で、その組織の人たちに直接語りかけることが必要であるとも説いている。
実際、著者自身がそのようにもされていたようで、まさに有言実行の人であったようである。

最後に、丹羽氏というと、最近の経済財政諮問会議でのホワイトカラー・エグゼンプションに関する発言が新聞紙上を賑わせたことがある。
ところが、これも実際の趣旨とは全く違う形で報道されたもののようで、たまたまこの著書の中で、新聞報道などの二次情報は、しっかりと現地現場でその目で確かめることが必要、と書かれたこととと符合するようで、まさに納得と言うところ。

今は、この本も文庫本で手にはいるとか。絶対お得な一冊である。

2008年4月8日火曜日

思考の整理学 ; 外山滋比古

今から25年前に出版された本にもかかわらず、つい最近読みました。
そうです、今、店頭で「もっと若い時に読んでいれば・・・」と大きく帯に書かれて、山積みされているのを見て、つい買ってしまったのです。

まさに、本当に出版されたときに読んでいればなぁ、、、と言うのが正直な感想でした。
もっとも、当時の私は、司馬遼太郎、城山三郎(いわゆる、「太郎、次郎、三郎」ですな)などを、耽読しており、とてもそこまで頭が回らなかっただろうと思うが、さらにこの本で書かれている「思考の整理学」なるものは、現在でこそ光を放っているとも思える。

昨年からのベストセラーの影響もあってか、「知的生産術」なるものが大流行である。私も読んではみたものの、現代の競争社会を生き抜くためには、とにかく効率とスピードという世の風潮には、若干息切れがする。そこまで、全速力で駆けていかなければいけないのだろうか。そこで、物を見失うことの可能性は考慮しないのか。
確かに、効率的にものごとを進めていくことに異論はないが、全ての基準はそれだけなのであろうか。

話は横道にそれたが、25年前のアナログ全盛時の思考の整理学である。ものごとを考えていく上で、経なければならないプロセスが、非常に明快に、わかりやすいアナロジーで書かれている。どこをとっても、うなずくことばかり。
先に知的生産術に触れたが、実は、そこに書かれていることと、いくつかオーバーラップするところがある。両者が揃って推奨するのが、頭で考えたこと、思考の塊となって、脳から溢れてきたことを、書き物にすることである。こういった思考は、発表し批評を受けることでさらに磨かれる、という発想は共通している。もっとも、25年後の今、こうして非常に簡単に書き物(?)として、世間に発表できるというのは、さすがの外山氏でも創造できなかったであろう。

そして、両者の決定的に違うところ、それは情報への当たり方である。特に重要な情報源として、書籍をあげておられるのは同様であるが、それへの接し方は正反対。氏は、書籍の中から目に付いた情報を、カード等に書き出し、系統化して整理することを勧める。さらにそれらのカードをさらに整理して、二次情報化していく(情報のメタ化)。
こうして、抽象化された情報が自分の中に蓄積され、何かの拍子に、外部へ迸る情報発信につながっていく。
私も、本を読むときには、ついつい線を引いたり、ノートに書き写したり、今ではデータとしてPCに保存したりする癖があるが、「知的生産術」では、ばっさりそれを否定されたので、若干後ろ暗く感じていたので、まさに溜飲の下がる思いがした。

先に述べたごとく、現在の競争社会は、とにかく効率とスピードが第一で、本当に大事なことを見失っているのではないかと心配している。スピード競争の果ては、いったいどこにたどり着くのか。世を挙げて、効率とスピードに重きを置いている時代にこそ、逆に全く違うものを絶対の強みにしていくことが重要ではないか。

2008年4月2日水曜日

人生論ノート ; 三木 清

恥ずかしながら、最近始めて読みました。
兵庫県出身で京都大学の西田幾太郎に師事した京都学派を代表する哲学者です。
私が、学生の頃は大学入試に出る本として、必読の書であったにもかかわらず、購入したままでこれまで手が出ることなかったものを、ようやく読もうという気になったものです。
彼が存命の頃に、雑誌に寄稿した23章の文章は、一言で言って難解。なかなか素人にすべてを理解するのは難しいですが、そこに書かれているテーマは身近な事ばかりで、それぞれの考察の深さ、多様さには驚かされます。
ただ、中には比較的解りやすいたとえなどで書かれている部分もあって、ホッとするところもあります。

今回この本を読んで、彼自身について少し調べてみると、活躍した時代は非常に短く、戦中に思想犯として投獄され、戦後すぐに獄中死しています。それが48歳。かつて学校の教科書で読んだような人が、このように自分の今の年齢と近い年齢で生涯を終えたことを思うと、感慨無量です。
この間に、多数の研究書を世に出しています。

で、この人生論ノートですが、第2章は「幸福について」です。
この最後のほうに次のような文章が出てきます。
『幸福は人格である。人が外套を脱ぎすてるやうにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることができる者が最も幸福な人である。しかし眞の幸福は、彼はこれを捨れてもて去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じやうに彼自身と一つのものである。この幸福をもつて彼はあらゆる困難と闘ふのである。幸福を武器として闘ふ者のみが斃れてもなほ幸福である。』
どうです、しびれませんか!!
ほかにも、『人生は、フィクションである。だからどのやうな人でも一つだけは小説を書くことができる。』など、ほかの所でも良く目にする言葉も出てきます。
一日一章ずつ読んでいってもすぐに読み切れる、素敵な書物でした。

2008年3月30日日曜日

信長の棺 ; 加藤 廣

室町時代の末期から、徳川家康が実質的に天下を平定した大阪の陣までの間は、綺羅星のごとく、傑物が現れては消えていく、非常に興味深い時代である。また、人によって、好みの人物がはっきりと分かれてしまうのも、なかなかにおもしろい。その時代を舞台にした小説も数限りなく、最終決着は分かっているにもかかわらず、好みの人物が主題になっていれば、つい手をのばして読んでみたくなるものが多い。

そんなわけで手にした本であるが、これは出版されたときに、時の小泉首相が絶賛したことでよく知られていたが、時を経て最近ようやく読んだものである。
小説のテーマは、信長の生涯よりもその死に関わる謎解きが中心で、いわば歴史ミステリーというものに当たる。現在でも、なぜ明智光秀が無謀(とも思えるよう)な謀反に走ったのかは、歴史の大きなミステリーと言われており、彼の早すぎる死が無ければ、その後の歴史は全く違ったものになったに違いない。
よく「信長が搗いて、秀吉がこねた餅を、家康が食べた。」と言われるが、3者の政治理念は全く違っており、信長→秀吉、秀吉→家康の政権交代は、革命に近いものであったと思っている。

ここまで書けば良くお解りの通り、私自身は信長の大ファンで、いくつかの本を手にしたが、最初に読んだ「国盗り物語;司馬遼太郎」を越えるものは出てこないなぁ、というのが正直な感想である。
ただ、この本では、安土城の隠された目的や信長が少数で本能寺に向かった理由などが、著者なりの解釈で書かれており、信長ファンとしては、心和む思いである。

2008年3月29日土曜日

丹精で繁盛 ; 瀬戸山 玄

最近は、毎週のように新しい新書が刊行されて、新書バブルといってもよいくらいです。
タイトルのつけ方が煽情的で、読んでみると「なんやこれ!全然ちゃうやんか!!」と思うような例も多々あります。

ところで、この本ですが、思ったより丁寧に書かれていて非常に良いです。
瀬戸山さん自身は、もともと映像製作が御専門であったらしく、随所に自分に見えているであろう光景を描写した部分が出てきます。また、自然をこよなく愛していられるのだろうということも想像できます。

とはいえ、この本の主人公は著者本人ではなく、日本各地でものづくりに携わる5名の企業家たちである。それぞれ、幾多の艱難辛苦を乗り越え、いまではそれなりの成功を収めている方たちであるが、そのものづくりに対する姿勢に共通するのが「丹精」というキーワードである。

冒頭で「丹精」という言葉とは対のような概念で説明される「こだわり」という言葉がある。
現在では、非常に一般的な流行語で、だれもが気軽に口にするが、そこには顧客の視点は一切なく、むしろ自分の価値観を相手に押し付ける傲慢さ、自己中心主義が見て取れるのである。

「店主こだわりの逸品」って、いかにも胡散臭い。旨くないのは、こっちの所為か?
これまで、漠然と感じていたことが説明されていて心地よい。

ところでこの本は、私が大好きな伝統工芸産業がもう一度元気になるようなヒントはないかと、いろいろ読み漁っているうちに見つけたものです。
職人さんたちには、使う人への思いをこめて作ってほしい。そして世の中の人たちには、その職人さんたちが丹精こめて作ったものを、もっと身近に見てほしい、使ってほしい。
心からそうと思っています。

2008年3月20日木曜日

藍色のベンチャー ; 幸田真音

幸田さんの小説は大変おもしろくて、頑張って読んでおります。
「日本国債」や「日銀券」など、もっぱら専門の金融分野の小説が多いのですが、その中でこの本は異色の存在です。しかも、大変おもしろい!!
あとがきのなかで、この本を書くために作家になった、とまで言われている意気込みが伝わってきます。


時代は、幕末。舞台は彦根。となると、勘の良い方は、井伊直弼の名前が頭に浮かぶでしょう。

タイトルとなった「藍色」は、実は「染付の磁器」の色です。
幕末の一時期、絹屋半兵衛なる呉服商人が、美しい磁器(有田焼)に魅せられ、私財を投げ打ち、「湖東焼」という新たな窯を起業すると言う物語です。
さまざまな障害を乗り越え、事業は無事スタートいたしますが、順調に進んだところで範に召し上げられ、最後は、数奇な運命をたどった藩主と共に、その短い歴史を終えます。

歴史的に短い期間しか製作されなかったため、多くの作品は残されていないようです。彦根の資料館には何点か展示されているようなので、一度見に行きたいと思っています。

日本沈没 第二部 ; 小松左京、谷 甲州

先日、図書館で見つけて借り出してきた本です。

第一部となった「日本沈没」を読んだのは、おそらく中学生の頃ではなかったでしょうか。
当時、大変なブームになり、映画化もされました。もちろん田舎の映画館へ足を運び、しっかりと見に行きました。(最近、リメークされたそうですが、これは見ていません。)

今では、誰でも学校で習う「プレートテクトニクス」も、当時はまだそれほど知られた考え方ではなく、最新の科学に裏づけされた(ようにみえた)映画には、わくわくした思い出があります。

今回読んだ「第二部」は、日本が沈没してから25年後の世界を描いたものです。
時々「???」と思わせる箇所もありますが、今回も、地球温暖化や人口問題、あるいは中国とアメリカの覇権争いなど、なかなかに読ませるエピソードも挿入されています。
ただ、この作品での小松左京氏は、執筆より全体の構想作りに携わったそうで、彼らしさが感じられなかったのは、そのせいかとも思われます。

小松左京さんの作品としては、「日本沈没」のほか「さよならジュピター」、「首都消失」など映画になっている作品が多いのが特徴です。
私的には、「復活の日」がお勧めです。

いずれにせよ長編が多いので、長い時間楽しめるのもありがたいところです。

2008年3月19日水曜日

現代の経営:P.F.ドラッカー

今から半世紀も前に書かれたとは思えないほど、文句なしに秀逸な読み物です。
「マネジメント」と言う言葉を生み出したとされる巨人の代表作。
近年、再刊行されたものを入手し、読破致しました。

まさに、代表作としてふさわしい内容で、経営に携わるあらゆる階層向けに、
上田惇生氏の非常に分かりやすい翻訳で書かれた文章は、読む側に何のストレスもなくスッと入っていく感じがします。

我々のような経営素人にも、それぞれの立場で考えるべきことが書かれており、全く古さを感じることはありません。
原書のタイトルは「The Prectice Of Management」ですから、直訳すれば「経営の実践」となります。すべての理論は実践をともなって始めて意味を持つ、という真理がそこから見えてきます。

これまでの間に、様々な経営指南書、ビジネススキル、自己啓発書を手にしては、片っ端から読んできましたが、いずれも、その著者にとってはベストの手法・考え方であろうと思えるのですが、いざ自分にとっては「行うは難し」と思わせるものばかりでした。

ドラッカーの著書は、いずれも難しいことを要求することはなく、視点を変えることをの大切さを気づかせてくれます。そういうところが、時代を超えて愛されるゆえんでしょうか。

今回の再刊行シリーズは、全15巻で刊行されていく予定です。ようやく5巻を読み終えたところですが、次に読む本が楽しみです。

2008年3月16日日曜日

Start Up

「読書」は、無趣味の代表とよく言われますが、
私の読書歴は幼年時の「アルセーヌルパン全集」から始まります。

それ以来、学校の図書館にあったSF全集などを読み漁りました。
中学、高校では、星新一と松本清張が愛読書。
大学にはいると、吉川英治、司馬遼太郎、城山三郎が加わりました。

今でも、歴史小説はお気に入りで、特に「三国志」「龍馬が行く」は
その後も、何度も読み返すことになります。

今は、仕事柄「経営学」に関する書籍を数多く読むことにしています。
特に、昨年勤務先が変わったことから、往復の電車の中で過ごす
80分ほどを、読書タイムに充てており、毎月20~30冊の
本に巡り会うことができています。

発行時期にはバラツキがありますが、最近読んだ本について
思うところなどを書きつづっていきたいと思います。