2008年6月16日月曜日

プレミアム戦略 ; 遠藤 功

少し前に読んだ本ということで大変恐縮ですが、結構おもしろかったのでここで紹介します。

現代社会を評して「格差社会」、「高額品と低価格品の消費の二極化」、などということが語られるようになって久しい。
実際、100円ショップが盛況を見せる一方で高機能(高額)な家電製品が大ヒットしたり、第3のビールがビールの消費量を引っ張るかと思えば「プレミアム」と名付けた上質のビールも良く売れている。

この本では、その現象を分析した上で、日本企業としてどのような戦略をとるべきかを提案している。

従来の少品種大量生産型の製造産業は、コスト的には(あるいは技術力も)中国、東南アジア等の新興国には全く太刀打ちできない。著者は別のところでも、日本の10倍以上にも及ぶ巨大市場を背後に控えた中国に対して、コモデティ市場で勝負を挑むことの無謀さを指摘しており、疑いのないところであろう。
今後、日本の製造産業が生き残る道は、他の国にはまねができない日本独自の感性を活かした物(感性価値の高い物)を作る方向に舵を切らなければ行けない、というか行かざるを得ないのである。
その際に、このプレミアム戦略というのが大きな意味を持ってくる。
とはいえ、ここのところプレミアムブームに悪のりしている企業もかなり目につくようになったように思われるのが残念である。

著書の中では、プレミアムにおける原則として次の8つを挙げている。
①「作り手の主観」こそがプレミアムの命、②常に「モダン」であり続けること、③派手な広告・宣伝はしない、④飢餓感・枯渇感を醸成する、⑤安易な拡張は行わない、⑥販路を絞り込む、⑦細部にこだわる、⑧グローバルをめざす

プレミアム路線を目指す企業は数多くあるが、これらの原則のうち自分に都合の良いいくつかのポイントにだけ焦点を絞って、戦略を立てているケースが多いように見受けられる。
基本的にこの8つの原則にバランス良く力点を置かないと、失敗は眼に見えている。自らの状況を再度しっかりと見極めることが重要であろう。

これらの原則を踏まえた上で、日本企業が実施すべき施策として挙げられているのが次の5つである。
①「本物の職人」を育てる、②「ストリー・テラー」を育てる、③上場にこだわらない、④仕事に「ゆとり」を、⑤「できる」と信じる

この中で、私が非常に重要であると思うのが、2つめの「ストリーテラー」の育成である。
プレミアム戦略というのは、結局のところブランド戦略の一類型であり、ブランド戦略にとって欠かせない、そのブランドを支える物語を如何に紡ぐことができるかと言うことが死命を制する。如何に使い手の質を高め、ブランドのファンを創造していくかと言うことが重要で、そのファンが「ストーリーテラー」となって、さらにそのブランドの周知度を高める原動力となりうる。
誰もが、そのファンづくりで苦労しているのであるが、その点について著書は一つのキーワードを与えてくれている。それが「欲望の質」という言葉である。

従来、日本製品の高品質化を支えていたのは何か、それは消費者たる日本国民の「欲望の質」の高さである。今、消費者の「欲望の質」はある意味飽和状態に達している。消費者自身の想像を上回る速さで技術革新が進み、「速さ=質の高さ」という錯覚を消費者に植え付けている。
今ここで、生産者が考えるべきは、速さではない質の高さである。つまり、生産者の「欲望の質の高さ」が、次の時代のキャスティングボートを握ることは間違いない

2008年6月8日日曜日

知的生活の方法 ; 渡部昇一

今からおよそ30年前に出版された講談社現代新書の一冊である。2008年2月で第73刷となっており、いかに長く読み続けられているかが良くわかる。最近は、こういったいわば古典的となった著書を好んで読むようにしている。

この本の中で、著者が知的活動の典型としているのが、本を読むこととそのアウトプットとしての執筆活動とされているので、もっぱら著者の読書論として読ませていただいた。
書かれていることはいちいち腑に落ちることばかりで、非常におもしろく一気に読んでしまったのであるが、特に印象に残ったことをいくつか。

まずは、本を繰り返して読むことである。
彼は、気に入った本があるととにかく何度も繰り返して読む癖があったそうである。これは少年時代の読書方法が習慣になっていたようで、特に捕物帖が大のお気に入りであったそうである。
この読書法は、夏目漱石も同じであったそうで、何度も繰り返して読む内に、おもしろさを感じるところも徐々に変わってきて、明らかにその本への理解度がさらに深まる、或いは新たな気づきが生まれるという。
現在、古典として現在まで残っている書物というものは、この繰り返しを何人もの人が行ってきているわけで、こういった数多くの人の評価を得たものが逆に古典として残ってきているわけである。
それぞれの人にとっても古典を作ろう、と言うことを勧めている。
翻って、私の古典と言えば、今にして思えばアルセーヌルパンなのである。
南洋一郎氏の翻訳による少年向けの全集を、何度も何度も読み返し、成人してからも堀口大学翻訳の新潮文庫版を何度も読み返しました。

第二点は、本は必ず買って読むこと、である。
簡単に言うと、本にかける金は惜しむな、と言うところである。
というのは、本は何度も読むものである上に、気になるところ、気に入ったところについては、どんどん書き込みをすることを提唱している。ここで朱書き線引きをしていると、読み返したときに、前回読んだときとの気づきの違いを体感できるし、何と言っても読み返すときに短時間で読むことができるとしている。
借りた本や図書館の本ではこうはいかないので、本は買って読めと言うことらしい。
実は、私も本は買って読む派で、例外的に図書館で小説などを借りることはあるが、基本的には購入し、気に入ったところは線引き、朱書き何でもありである。
今にして思えば、子供の頃から本の貸し借りをすることが嫌いで、本を貸すときなどは、自分の心の中まで見られているようで、恥ずかしい思いをしたものである。ましてや本を人から借りて読むなんて、実は人生の中でほとんど記憶にないのである。

最後の一つは、知的生活を送る上での障害物として挙げられているもの。
結婚すること、家族を持つことだそうである。
ただし、これには知的生活とは別の次元の興味深い生活が待っていると思うのであるがどうだろうか。

この本も、立派な古典として読み継がれているようである。
自分が読書好きなもので、いろいろな人の読書論には結構興味を持っていて、自分のことを話すのは気が引けるのであるが、人の読書歴を聞くのはその人の心の中が少し垣間見えるような気がして興味深い。