10月は、ほとんど本を読む時間が無く、計11冊で、うち小説が5冊、その他の書籍が6冊という結果でした。結構前半は順調だったのですが、中旬あたりから、夜に本を読む時間がとれなくなって、全く読まない日が続いてしまいました。昔なら、そんなときでも軽めのミステリ小説などを読んでいたものですが、この頃はそんな気にはなりませんでした。理由は特に無いんですがね。
ということで、数少ない中でのお勧めの一冊です。
小説では、久々に読んだアーチャーの本が良かったかな。彼の書く小説は、短編長編に関わらず結構好きで、長編では“100万ドルを取り返せ”、“めざせダウニング街10番地”、“ケインとアベル”などを若い頃に読んだことを思い出します。どれも面白かった。その後は、しばらく読むこともなかったのですが、本作のような短編集を何冊か拾い読みをしています。どれも外れがなくて面白い。本作もお薦めです。
東野圭吾さんの新作も面白いのだが、最大の見せ場あるべきメインストリームの謎解きがしっくりこなくて、少し残念なところです。でも全体としては面白く、お薦めです。
その他の本では、こうやって見ると歴史物が多かったですね。実は何度読んでも年号等は覚えられないけど、歴史特に日本史が好きなんです。本流であるところの政治史はもちろんですが、いわゆる民俗史というか、当時の人たち(支配層、庶民に関わらず)の暮らしにかかる歴史という物に大変妙味があります。ということで、目につくとすぐに買ってしまうのですが、読むスピードが追いつかず、積ん読になってしまいます。この月は、そんな本にも何冊か手を出しました。
というわけで、そんな歴史物も良かったのですが、あまりマニアックなのでそれらを除いた中からのお薦めですが、最近話題の“宅配がなくなる日”がとても面白かったです。この本は、今や飽和状態になってしまった宅配業務について、その課題を目新しい観点から分析し、ある種の解決策を提示しています。ぱっと見には良い策かと思えるのですが、どうも地方には目が向いていないのではないかと思えてしまいます。本来は、人口が減少し、超高齢化が進む地方にこそ、問題点はあるのじゃないかと思うので、そこを解決できる方策を、みんなが間あげないといけないんだろうなと思います。
11月に入り、一気に秋本番を迎えます。いわゆる読書の秋と言われる季節に突入するわけですが、さぁ今月は何から始めようかな。
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「この国のすがたと歴史」網野善彦、森浩一
日本を代表する歴史学と考古学の大家同士の興味ある対談集。二人ともその頭の中は一体どうなっているのだろうと思わせるほどの知識量に驚く。しかもそれぞれがお互いの分野にも垣根を越えて精通し、丁々発止の議論を戦わせるところも面白い。科学技術が発達することで、これらの分野でも新たに分かってくることが増えてきている。今後もこの両大家の想像のつかないような大発見があるかもしれない。(10/1)
002/133
「サーモン・キャッチャー」道尾秀介
当初は無関係に見えていた登場人物達が、実はいろいろと繋がりを持っていて、それが物語の進行とともに明らかになっていきます。途中からかなり荒唐無稽な物語になってきて、どこへ行くのかと心配になりましたが、無事に終わって良かった。(10/7)
003/134
「花咲舞が黙ってない」池井戸潤
もともとは違うタイトルのシリーズだったものが、テレビドラマが当たったこともあって、そのタイトルを後追いで本のタイトルとしてしまった。内容的には、前作同様の組織内勧善懲悪もので、最後はスカッとするという物語で、すきま時間をつぶすにはもってこいの本。お出かけのお供でした。(10/7)
004/135
「15のわけあり小説」ジェフリー・アーチャー
彼の小説は結構好きなので、時折気が向いて読みたくなる。長編小説もお見事なのだが、こういった短編集もウィットが効いていてとても面白い。著者自身はかなり毀誉褒貶に富んだ人物で、その人生も波瀾万丈である。ここにあげられた15の物語の内、いくつかは実話に基づく物語なのだそうだが、イギリスのゴシップに詳しくない我々としては、その区別には全く意味が無い。ある程度オチが見えてしまったりするものもあるが、基本的にはあっと驚く結末が用意されていて、なかなかに面白いです。(10/9)
005/136
「『ぐずぐず』の理由」鷲田清一
いわゆるオノマトペといわれる擬音語、擬声語、擬態語にかんする評論。日本語には本当に多くのオノマトペがあり、地方によって違いもある。また、似たような言葉から派生したものもあれば、元になっただろう言葉とは全く関わりの無いような意味を持つようになったものもある。内容的には、とても難解で、読破するのに半月近くかかりましたが、それなりに興味深い一冊でした。(10/17)
006/137
「劇場」又吉直樹
言わずと知れた芥川賞作家の受賞後第2作なのだが、実はその受賞作をまだ読んでいない。演劇の世界を志す青年が主人公なのだが、これがまたどうにもならんようなアカンたれで、読んでいてイライラくるような男。(10/28)
007/138
「宅配がなくなる日 同時性解消の社会論」松岡真宏、山手剛人
ネット通販が大隆盛を迎える中で、宅配の荷物が爆発的に増加し、いわゆる“ラスト・ワンマイル”を担う部分に限界を超えるような付加がかかっていると言われている。とかく受領者の“モラル”に原因を求める向きもあるようであるが、本書では“商品の選択”、“支払い”の各場面で“同時性(ヒトとヒトが同時に存在することで成り立つ)”が排除する方向で制度や技術が変化したにも関わらず、“受け取り”の場面では依然として“同時性”が求められていることに原因があるとする。そこで、その同時性を排除するための解決策をいくつか提示されているのだが、著者も言明しているとおり、都心部への人口集中がさらに進むことが前提となっており、地方では成り立たないのではないかと思えるような提案。本国のamazonは、自社内で物流機能まで抱えていることから、そこに弱点を持つ日本で、いつまでも外注しているとは思えない。いつかamazonが仕掛ける物流革命が起きるのではないだろうか。(10/28)
008/139
「マスカレード・ナイト」東野圭吾
東京のホテルを舞台にしたシリーズ3作目(内1作は番外編)。本筋の殺人事件だけでなく、ホテルを訪れる人が織りなす様々な事件が、アクセントとして添えられている。相変わらず上手い展開で、面白く読んだのだが、サイドストーリーに手間をかけすぎたせいか、なぜか本筋事件の解決が甘い。残念だ。でもって、どうやらシリーズ第一作が来年には映画化もされるそうで楽しみなのだが、出演が、、、、(10/28)
009/140
禹王とは、存在が確認できる中国最古の王朝“夏王朝”の高祖で、紀元前2000年頃にいた人物だそうである。かの孔子も高く評価しており、中国国民にとっても誰もが知っている伝説の賢王であったらしい。その功績の一つとして知られているのが治水事業であり、当時暴れ川であった黄河を治め、国を大いに富ませたらしい。この“禹”と言う文字も“龍”という意を含んだ文字らしく、“龍”は古くは“水”、“水害”を表していたようで、それにちなんだ名とも思える。実は、この禹王が治水神として祀られているのが、日本であることはほとんど知られていない。古くは、京都の鴨川原にも祠があったようであるが、現存はしていない。本書は中国人の目から見たある種の文化論なのであり、自己を省みるには興味深い書である。ただ、禹王の伝説は周知のものとして、ほとんど触れられていないので、それが少し残念。(10/29)
010/141
香港出身の歴史社会学者による日本社会史論。なかなか気がつかない独特の視点で書かれており、とても面白い一冊だった。明治維新以降の近代化(つまりは、資本主義、民主主義の導入)をはかる上で、結果的に鉄道敷設が果たした役割は大きなものがあった(だたし、それはかなりいびつな形であったが)。そんな単純なものではないと、認めたくない気持ちもあるかもしれないが、冷静かつ客観的に結果から類推すれば、そういう結論が出てくるのだろう。実際、現在の新幹線神話、争奪戦を見ていると、まさにタイトルどおりなのではないかとも思う。国内の至る所まで鉄道網が張り巡らされ、しかもその中心点が一つであるような国家を私は知りません。ドイツなどはそれに近いと思うが、ネットワークはまさに網であって、中心点は存在しない。そういう意味でも、改めて著者の指摘は、相当に的を射た指摘なのではないかと思う。(10/30)
011/142
「国家神道」村上重良
今から凡そ50年前に書かれ、今も読み続けられている名著と言っても良いでしょう。かなり古い言い回しで書かれていたり、明治期の法令が原文のままで書かれていたりと、かなり読みにくい本でしたが、明治維新以前にあった神道が、それ以降の国家神道政策に蹂躙され壊滅的な打撃を受けた様がとてもよく分かります。この書によると、書かれた当時は、再び国家神道の復活に向けた動きが活発になったとされているのだが、まさかそれはないだろうと思うのですが。最近は気の向くままに彷徨することが多く、その際は、そこにある神社仏閣にお詣りすることが楽しみの一つになっています。特に神社に行くと、本来の御祭神と明らかにその後に付加された祭祀が混在し、本来持っていたであろう土地の人たちに親しまれ愛された神々が遠くに押しやられてしまっているような印象を受けることがあります。もう一度本来の姿に立ち戻った方が良いと思うのですが。(10/31)