2009年4月5日日曜日

2009年3月


仏文学者による仏教書。正法眼蔵をあるがままに読むことが、道元を知ることの唯一の道と説く。解説書や意訳では理解できるはずがないと、とはいえあまりに難解。未だ原典に手を出そうという気にはなれない。


接客サービスの常識を疑い、自分がお客様になったときのことを考えて接客すべし。ただしそれになりきるあまり、自らがクレーマーになってしまわぬように。慎みたい。


「グローバル恐慌」とは、言い得て妙。負の連鎖が瞬時にボーダレスに席巻する。誰もが無関係ではいられない。著者のいう10年度、どのような世界が我々を待っているのだろうか。考えるだけで怖い。


懐かしいドイツの街の風景を思い出させてくれる一冊。列車の旅はほとんどしなかったことがとても残念。このルポは、私が離独して5年後くらいの時点で描かれているが、それでもいくつかの変化が見られる。また一度列車の旅がしてみたい。


幸福論より10~20年後に書かれたプロポ。やや難解さを増している。四季を巡るといいながら、季節感はあまり感じられない。楽観主義的な物の見方は失せ、厳しさが漂う気がする。


文句なし、今年ここまでのNo.1。伏しても止まん、まさに市井にある偉人。自分はここまで誠を尽くせるか。本当の人としてのあるべき姿。本当に重い。


大上段に振りかぶったタイトルの割に内容は薄い。ただ、「食」を資源ととらえる国と「文化」ととらえる国の対比はおもしろい。国家の基本は「食」にある。ただ飢えないためだけの食ではなく、それを取り巻く規範、禁忌があってはじめて国家となる。


宮内告発書の体をとる小泉+竹中告発書。希代のペテン師小泉+竹中が宮内を利用し、村上は踊らされた。捨て駒は憐れ。この国のあるべき姿はどうなってしまったのか。憂国の士は何処へ。この手の本を鵜呑みにしている鳩山も憐れ。


昨年話題の本。村山先生もお勧め。新たな経済階級の台頭と副題にあるが、真の“階級”と呼べる者になっているのだろうか。また彼らが次世代経済の担い手となるのだろうか。彼らの存在は原因か結果か。


涙を誘う話満載。そこで働いている人たちは皆純粋な気持ちで働いているのだろうとは思うが、どこかにその気持ちを操っている人間たちがいるような気がして怖い。サービスの基本。すべてが真実であってほしい。


いつもながら心にズンズン響く文章。一つ一つの言葉がスッと心に落ちてくる。仕事の報酬とは、能力、仕事、成長。能力を磨く、呼吸、着眼、心得。作品としての仕事。個人の作品ではなく共同作品。共感を求める。人間としての成長。


非常に読みづらいスタイル。原文を味わい深く読めるようなスタイルならよかったのにと思う。仏教学者が対談形式で現代語訳を作り上げていく作業は読むのが難しい。


涙なくして読めない本。レジうちの女性の話は圧巻である。本当にこんなことってあるのだろうか。何かに只ひたすらに打ち込んだときに奇跡は起きる。そしてそれが大きな感動となって帰ってくる。


バレーボールに青春のすべてを打ち込み、21歳でガンのため命をなくした女性が精魂を込めて書き上げた自伝。この短い一生にたぐいまれなる努力をして他の人の何倍もの密度で駆け抜けた。文章もすばらしい。冥福を祈る。


2005年発行「認められたい!」の文庫版。我々が働く上でのモチベーションの源泉を承認欲求に置く、著者独自の考え方。成果を数値化しにくい我々公務員には大いに頷ける考え方。ただ彼のいうように欲求に報いるシステムが難しい。


1994年に書かれたイスラム教の入門書。先入観として持っていた聖戦とか「右手に剣を左手にコーランを」などという言葉は出てこない。集団テロ、組織テロとどうつながってくるのかさっぱりわからない。


ニューエコノミー、グローバリゼーション、2000年に発行された本書であるが、見事にその後の“暴走する資本主義”を予見している。日本企業が貯め込んだドルを円にするだけで円高を招来するというのは目から鱗。知らない常識というものは数限りなくあるものだ。


今から14年前に書かれた本。科学と哲学の関連性についてもしっかり取り上げられている。水耕栽培でないハイポニカ。高槻のセンターを是非見てみたい。


最初9は掃除のマニュアルのような書き出しでびっくり。その後掃除を学ぶ会の活動などについて詳しく書かれている。広島での暴走族対策の話や荒れた学校での成功例は目頭が熱くなる。


「歓迎する」「心を込める」「思いやりを持つ」「豊富な知識を蓄える」「参加する」5つの気持ちを大切にする。驚くようなストーリー、その上利益も上げていることの不思議さ。


これまた破天荒な本、神も仏もあるものかと言い切るすごさ。人間はあほにならんとあかん。といってもあほってなんや。謙虚とは違う、無心とも違う、素直とも違うような気がする。いやはや簡単なようで難しい。


人は30億の遺伝子記号のうち3%しか利用していないとか、残りの97%の働きは解明されていない。これらはある刺激によってonになったりoffになったりする。さらに心に重くのしかかる何かを解き放つときに奇跡は起こる。一流の科学者であり、宗教臭さが感じられない一冊。


創造創作の欲を捨て、あくまで忠実に道元の足跡をたどる物語。わからぬところはわからぬと言い放ち、下手な解釈をしないところが潔い。独特の文体。


以前から気になっていた上勝町の葉っぱビジネスの物語。本当に大変だったはずの創生期が簡単に書かれすぎていて物足りない感じ。人は誰でも人から必要とされていることで生き甲斐を見いだすもの。それに我欲が重なれば鬼に金棒。


現今の仏教界最大の難行、比叡山千日回峰行を2回もやった大阿闍梨の示す生き方の書、やはりこの人も若くして死に接し地獄を見ている。そして今は流れるように生きているように見える。今このときを悔いのないように生きたい。人間にできることは限られている。しかしその限界は変化する。


肉体労働者ならぬ感情労働者についての論文。感情を商品として提供している労働者がアメリカでは男性の4分の1、女性の2分の1を占めているとか。本当に感情が商品として成り立つのかどうか。消費者は感情を買っているのだろうか?


心頭滅却すれば火も自ら涼し、真面目、法演の四戒、周りと比べない。自分をとことんまで深く見つめること。すべてのものをあるがままに受け入れること。一度読んだくらいではとても足りない。


機関誌「省エネルギー」の連載をまとめたもの。これだけの科学者たちが科学と宗教、哲学の接点について語っているというのがすばらしい。公的機関とは思えない壮挙である。いずれも私利私欲を超越した“何か”に突き動かされているように語る中、ノーベル賞受賞者のみが我欲むき出しでおもしろい。


とてもすらすら読める代物ではないことを再認識、されど興味は増すばかり。何度かすでに読んだところがあるので最初に比べれば多少は身近に感じられる。どうするか、そろそろ現物に挑むか。


2008年ノーベル経済学賞受賞、8年にわたって世界をペテンにかけた禅アメリカ大統領とそのスタッフを痛快なまでにこき下ろす。こんなやつが何故8年間もその職に就いていることができたのだろうか。


世評どおり読みやすくわかりやすい本。その上、五木寛之がこれほどまでに仏教に造詣が深いとは、ついぞ知らなかった。ブッダの教えは暗闇に包まれるこの世を照らしてくれる一条の光である。


女性初のノーベル文学賞作家。スウェーデン生。実際の伝説ではなく、彼女の創作によるもの。「我が主とペテロ聖者」は芥川の蜘蛛の糸と同じモチーフ。古に云う。地獄と極楽には同じ物があると。心の持ちようで地獄の苦しみにも天国の安らぎにもなる。


元アサヒビール会長。部下といかに接するか、いわゆるリーダーシップに関する本。結果オーライの武勇伝が多く、若干鼻につく感じもするが、我が身に置き換えても納得できる箇所もある。気をつけないと、驕慢の兆しが出ているのかも。


ほとんどどこかで読んだ話だが、改めて人物としての巨大さに感心する。


やけに中国古典に詳しいと思っていたら、幼少期からそういう家庭に育ったためらしい。若いときからしっかりと自分を磨いていたから、今の結果があるのだろう。


きれい事はほとんどなし、そのものずばりの本音トーク集。結果、成果はやっぱり金なのか?


原著(1845年;Young Man's Guide)はほとんど顧みられたことのなかった書物ではなかろうか。日本でいう江戸時代に書かれただけあって???という箇所もあるが、おおむね原題にも通用する。生き方に新しいテクニックや考え方はないということか。


だます、だまされる。誤解する、誤解される。すべては先入観の成せる技。思い込みを排し、純な気持ちで事物を眺めること、人を理解することも同じ。